校歌を歌えない人が7割
春のセンバツに出場した大分舞鶴高校。甲子園球場で初めて鳴り響いた校歌に感動した在校生&卒業生も多かったのではないでしょうか。
そんな青春時代の思い出、そして地域の誇りである「校歌」。
ただ、サタパレスタッフが調査をしたところ母校の高校の校歌については「歌えない」「覚えていない」と答えた方がなんと約7割にのぼりました!
そこで、今回のサタパレでは県内の高校の校歌について徹底調査しました。
そもそも校歌って…
そもそも校歌って入学式や卒業式など主に式典の場でしか歌う機会がないような・・・
その校歌の役割、必要性について知りたい!
今回、校歌について教えてくれたのは大分大学で作曲・音楽理論を専門とする清水准教授。
清水准教授によると、校歌が生まれたのは今から約130年前の明治30年頃。
明治時代初期は、学校の校訓が歌われる「教育的校歌を期待した歌」でしたが、大正時代になると「帰属意識、愛校心、郷土愛」などが盛り込まれるようになりました。
校歌にはどんな言葉が使われているの?
サタパレでは大分県内全55校の高校の校歌の歌詞を調査…すると何と約半分の高校の校歌が「山」に関する言葉で始まっていました。
清水准教授によると、その地域のランドマークとなるもの、目に見えて分かる特徴を取り込むことが校歌のポイントとなっているそうです。
実際に山だけでなく、別府翔青高校では「青色に染まる海をフェリーが真っすぐに進む」
大分国際情報高校では「屋上高きアンテナ」など生徒の身近にある景色が数多く登場していました。
また、情報科学高校では英語で「I S S」。昭和学園高校は歌い出しが疑問系「なんだろう何故なのか」など各高校のこだわりが随所に見られました。
今回調べた結果、登場頻度の高い歌詞のベスト10 はこのようになりました!
最も多かったのが山、ついで色(白・紫紺・青など)、海と続く順位に。
校歌「音」にも特徴
そして、歌詞だけでなくリズムや音にも特徴があります。
「校歌」と言われてイメージする伝統的なものには「付点のリズム」という跳ねるリズムを使うことが多いようです。
付点のリズムで典型的なのが県内の県立高校で最も古い明治42年に作られたという杵築高校の校歌。歌詞は「♪ふったごっのたっかね〜 ゆっふのっみね〜」と続きますが、こうした「跳ねるリズム」は力強さや勇ましさを示し、国民歌謡や軍歌の名残りがあるのだとか。
「ポップすぎる」校歌
一方、対照的な校歌が去年の選抜高校野球大会で快進撃を見せた明豊高校です。
明豊高校校歌
♪ 希望だけを支えに 未来を創る旅
夢をあきらめないで 勇気自分を信じ 愛をその手で育てながら
歌謡曲のような歌詞とメロディーが校歌らしくない「ポップ過ぎる校歌」として話題になりました。
作曲したのは大分県出身の南こうせつさん。
本人に話を聞いたところ、学校側から「校名や名所・旧跡を無理に入れずに高校生を思う気持ちで作ってください」とリクエストがあったそうです。
―― 南こうせつさん
「青春時代の夢や希望を感じられる曲調にしました。何がなんでも頑張れ!頑張れではなく、それぞれの自分らしい道を歩いていけばいい。と言う思いが根底にあります」
こうした明るくポップな歌詞が含まれた校歌は戦後に作られたものが多いそうで、若い生徒たちに「夢を抱いて巣立ってほしい」という思いからできたと言われています。 ちなみに明豊中学・高校の新入生には毎年校歌のCDが配布されますが、高校野球で全国的に有名になったことで非売品にもかかわらず問い合わせが多いそうです。
伝統を受け継ぐ校歌も時代にあわせた校歌も、それぞれ地域を思う「ふるさとの応援歌」です。
忘れかけた懐かしい響きに、今一度、耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
「あなたにとって校歌」
最後に、番組やTOSオンラインで募集した「校歌」に関するメッセージを一部ご紹介します。
舞鶴高校 久保田校長
「甲子園球場で子どもたちが声を響かせたことは感無量でした。山、川、海と大きな自然の流れを感じる歌詞、子どもたちの心に残る校歌だろうなぁと思っています。古を感じる歌詞、舞鶴高校、私は大好きです!」
大分市 みこちゃん
「校歌って、ふとした瞬間に思い出して、口ずさむと言うか、歌ってたりしていますね~。思い出がいっぱい詰まっている学生時代ですので、今でも小学校、中学校、高校の頃の楽しい思い出が甦ります。」
佐伯市 ぽぷこさん
「校歌の思い出。高校生の時に野球部が夏の甲子園出場!夢であった校歌を暑い(熱い)スタンドで大合唱したことです。青春だなー!と今、思い出しても胸があつくなります。ちなみに小中高の校歌、今でもちゃんと歌えます(^^)」
他にもたくさんのメッセージをいただきました。本当にありがとうございました♪
皆さんからいただいたメッセージですが、一部をTOSオンラインの「校歌の思い出」記事にて紹介しておりますので是非ご覧ください。
校歌について皆さんからのメッセージはこちら
最後に、校歌を作る側として大分県内の校歌を手掛けた南こうせつさん、伊勢正三さんにお話を聞きました。
ずっと残っていく校歌、制作を引き受けるプレッシャーは?
―― 南こうせつさん
「高校時代の一人ひとりの思い出が歌になって一生残っていくと思うとその責任を感じます。卒業して社会人になって辛いことや悲しいことがあった時、まっすぐに生きていた学生時代のメロディーがふと自分の人生にエールを送ってくれるような気がします。」
また、伊勢さんは2024年に新設する津久見市内の学校の校歌制作を控えています。
―― 伊勢正三さん
「もちろん、気軽には作れないというプレッシャーはありますが校歌を依頼されることは、とても光栄であり、やり甲斐のあることです。生まれ育った津久見へ恩返しする気持ちで取り組みます。」
校歌とは・・・
!!番外編!!
さらに番外編として「1番以外っている?」疑問をYouTubeにアップしました。
協力いただいたのは、この企画のきっかけともなった大分舞鶴高校。
春のセンバツで甲子園球場で鳴り響いた校歌は記憶に新しいと思います。
なかなか歌わない「3番の校歌」
着任3回目という舞鶴愛溢れた校長先生ですら完璧に歌うことが難しい!?
え、、、じゃあ「1番以外っちいるん・・・?」
この疑問を番外編としてアップしていますので是非ご覧ください。