大分の街を変えた西村偵紀氏 今、若者に伝えたい言葉

2021年12月06日 10:00更新

社名に込めた創業の思い今も

 

東京赤坂「ホテルニュージャパン」の大火災、フジテレビ「笑っていいとも」の放送開始、また中森明菜など時代を代表するアイドルたちが顔をそろえ始めた1982年。

 

バブル景気を目前に、世の中全体が激しく勢いを増していく中、大分市府内町のビルの1階にインポートの衣服を販売するセレクトショップ「TOSS(トス)」がオープンした。 

 

 

大分に「異端」な店

 

15坪の店内には、東京の若者たちに人気を誇っていた「BALL(伊)」や「CLOSED(独)」など、ヨーロッパを中心とした服や靴などが並べられた。

 

DCブランド(デザイナーズ&キャラクターズブランド)が全盛期を迎えていた当時、まだ大分には、若者をターゲットにした衣服を扱う路面店もほとんど無かった。

 

「異端」な存在感を放っていたと想像できるその店をオープンさせたのが、「TOSS COMPANY(トスカンパニー)」の西村偵紀(にしむら さだのり)社長だ。38歳の年だった。

 

それからおよそ40年間、大分市中心部で、衣・食・住の新たな楽しみ方やスタイルを提供し続けている。

 

ファッションへの目覚め

 

1944年、鹿児島県指宿市に生まれた西村氏。石原裕次郎の映画や、8歳上の姉が読んでいた雑誌「平凡」に影響を受け、ファッションに目覚める。

 

高校卒業後は上京し、大学を中退して予備校に通い始めるも、勉強をそこそこに、ジャズ喫茶「銀座ACB(アシベ)」に通い詰める日々。半年後には厳しい父からの仕送りが打ち切られた。働かざるを得なくなった西村氏だが、ある時幸運な出会いに恵まれる。

 

アルバイトを通じて知り合ったアパレル業界の社長の会社に採用され、ファッションを生業とする第一歩を刻んだ。

 

「人に使われるより、自分でやりたい」。

 

20代半ばで独立し、スーツを仕立てるテーラーを開業した。

 

数年して、回収が困難な売掛金の商売ではなく日銭を稼げる飲食店の経営へと繋がっていくが、その頃に今の事業を手掛ける人脈が培われた。

 

その一人が、出版社「マガジンハウス」のファッションエディターやスタイリストとしても有名な北村勝彦(きたむらかつひこ)さんだ。遊び仲間だった北村さんに声を掛けられ、男性向けファッション雑誌「ポパイ」ではモデルを務めたこともあった。

 

社名の名付け親もこの北村さんだ。創業当時メインに扱う商品を「BALL(ボール)」と決めていたこともあって、お客様がキャッチしやすいボールを投げる「TOSS(トス)」と命名したという。

  

 

「人間は、基本人間が好き。今も対面で喜んでもらえる自信がある」そう語る西村氏。

 

時代が変わり、またコロナウイルスによって対面営業が困難になっても、

 

「心を込めて商品をTOSS(トス)していく」社名に込められた創業の志を変わらず貫いている。

 

 

 

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営業部・帯刀 康宏

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