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15日で終戦から81年です。宇佐市の市民団体が公開した戦時中の映像に映った父親の姿を見て、思いをはせる大分市の女性がいます。そんな女性に父に関する新たな発見の知らせが届きました。
墓に供えるのは故人が好きだった麦焼酎です。
◆堀端優子さん(72)
「大酒飲みでだった。でも、とても優しい実直な父だった」
大分市に住む堀端優子さんです。
墓に眠るのは24年前に82歳でこの世を去った父・松浪清さん。
戦時中は旧日本海軍航空隊の偵察員でした。

1943年に撮影された出撃を前にした搭乗員たちが並ぶ映像の中に、松浪さんの姿が映されていました。撮影したのは旧日本海軍で、現在のパプアニューギニアにあったブイン航空基地から爆撃機が出撃する様子などもとらえられていました。
この映像を公開したのは宇佐市の豊の国宇佐市塾。アメリカから戦時中の映像を取り寄せ、分析しています。
今回、撮影時期や場所を特定できたきっかけが松浪さんが戦後に書いた手記でした。そこには映像を撮影し戦死した搭乗員についての記述がありました。
『命令一下、出で発つは』(著:松浪 清 光人社)
「アイモ(=カメラ)をだいたまま壮烈な自爆戦死をとげたのだ。一掬の涙を禁じ得ない」
宇佐市塾の活動により堀端さんは初めて戦時中の父の映像を目にすることができたのです。

◆堀端優子さん
「(映像を)見てから、毎晩父に『よくやってたね』とか話しかけている。きょうもさっき、(父に)『ありがとう』と言った」
4日、堀端さんと一緒に岡山県に住む姪とその子供たちも墓参りに訪れました。松浪さんの孫とひ孫にあたります。
◆親族たちに映像を見せる堀端さん
「これがそう、おじいちゃん。ちょっと痩せ気味。無事に帰って来たってすごい」
◆松浪さんのひ孫・広畑直樹さん(18)
「おじいちゃんが生き残ってくれたおかげで、今の僕たちがあるので感謝しかない」
◆松浪さんのひ孫・広畑芽依さん(16)
「1日1日を大切にしたいと感じた」

8日、堀端さんは大分市の県護国神社へ。
面会したのは、県護国神社で戦争関連の所蔵品の整理や調査を行っている三ノ宮栄一さんと亀田雅弘さんです。
◆堀端さん
「いいですか?ありがとうございます」
◆三ノ宮さん
「実戦で身に付けていた」
◆堀端さん
「持ってたんでしょうね。時計はいるから」
手にしたのは父の「航空時計」。神社で見つかりました。
偵察員だった松浪さんはこれで時間を計り、航空機の位置の計算などを行っていたと考えられるということです。
松浪さんの手記にも時計についての記述がありました。
『命令一下、出で発つは』(著:松浪 清 光人社)
「航空時計を見ると、十二時半をしめしている。あと三十分で戦場に到達するのだ」

この時計、もともとは特攻隊ゆかりの展示をしていた大分市上野丘の予科練資料館にありました。館長も松浪さんと同じく海軍航空隊出身だった縁で譲り受けたといいます。
資料館は2024年に閉館しましたが、およそ3000点にも上る所蔵品の大半を県護国神社が引き継ぎ、一部を境内で展示。三ノ宮さんや亀田さんたちによって、整理や調査も進められています。そうした中で7月下旬、時計が見つかったのです。
◆堀端優子さん
「残してもらえるのはありがたい。若い人もどんどん機会があれば見てもらいたいし、 ぜひこのまま活動はお願いしたい」
◆亀田雅弘さん
「遺品一つ一つが語り部だと私は思っている。当時のことを語ってくれる人がいない代わりに、物が語れるように体感できるような環境、 そういった展示づくりを心掛けていきたい」
亡き父が遺していたからつながった戦争の記憶。平和を願う思いはこれからも生き続けます。
