「苦しまず安らかに息を引きとった」大分県初の首相・村山富市さん死去 家族に見守られ101歳で大往生

2025年10月17日 19:30更新

激動の時代に日本を引っ張り平和を愛した人生でした。

 

 

大分県出身者として初めて内閣総理大臣を務めた村山富市さんが17日午前、大分市の病院で老衰のため亡くなりました。

 

 

101歳でした。

 

 

 

 

 

1994年、70歳の時に自民党、社会党、新党さきがけのいわゆる「自社さ」連立政権で県出身者として初めて内閣総理大臣に就任した村山富市さん。

 

 

戦後50年の節目には時の総理として初めて「侵略」や「お詫び」という言葉を使った村山談話を発表しました。

 

 

そして、その翌年、総理を辞任。在任期間は561日でした。その後、社民党の党首などを経て、2000年に政界を引退しています。

 

 

村山さんは、9月から大分市内の病院に入院していて17日午前、老衰のため家族などに見守られながら亡くなったということです。101歳でした。

 

 

元社民党県連の職員で村山さんの最期を看取った安部逸郎さんです。

 

 

◆元社民党県連職員安部逸郎さん

 

「(村山さんの)家に行って顔を見ると『おっ』と言って声掛けをしてくれたりとか、そんなに話はしないけど(少し前は)まだしっかりとされていた。きょう(午前)10時くらいに容体が急変して、体調が悪くなってという話でバタバタだった」

 

(Q最期の様子)

 

「本当に、別に病気で苦しむわけでもなくて、安らかに息を引きとられた」

 

 

 

 

 

また、TOSの取材に対し、村山さんの次女の中原由利さんは「県民の方々が長年父のことを支えてくださったことに感謝申し上げます」と話していました。

 

 

社民党県連によりますと、通夜・葬儀は近親者のみで行い後日、お別れの会を予定しているということです。

 

 

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