79年前に127人が犠牲に 「保戸島空襲」慰霊祭 大分県津久見市

2024年07月25日 18:30更新

79年前の7月25日大分県津久見市の保戸島では空襲で子供を含む127人が亡くなりました。

 

 

25日、島では亡くなった人たちを悼む慰霊祭が行われました。

 

 

1945年7月25日当時、海軍の軍事施設があった津久見市の保戸島はアメリカ軍による空襲を受けました。

 

 

そのうちの1発が当時の国民学校の校舎を直撃。子供や教員あわせて127人が死亡し、75人が重軽傷を負う大惨事となりました。

 

 

◆TOS児玉直輝記者

 

「空襲の被害に遭った学校の敷地内には亡くなった人々の慰霊碑が建てられていて79年が経ったきょう、多くの折り鶴や花が手向けられている」

 

 

島の海徳寺では毎年、慰霊祭が行われていて25日は島の内外からおよそ50人が参加。

 

 

参列した人たちが亡くなった人を悼み手を合わせていました。

 

 

◆島に住む中学生

 

「とても悲しい出来事だったと思う。それを二度と忘れないようにしたいなと再確認できた」

 

 ◆島に住む人は

「こうやって島外の小中学生が来てこういうことが保戸島でもあったんだと、親や友達に広めていってもらえたら」

 

 

25日は平和学習のために津久見小学校と中学校の子供たちも島を訪れ地元の人から話を聞いて悲惨な空襲について学んでいました。

 

 

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