【今年の漢字】街ゆく人は?「光、今人生で一番きらきらしている」「変、10キロ痩せた」大分
ことしで戦後から78年。
こうした中、大分市にある特攻隊員の遺品などを展示する資料館が閉館を決めました。
その背景や閉館後も展示品を後世へ引き継いでいこうとする動きを取材しました。
大分県大分市上野丘にある予科練資料館です。
こちらには戦時中の特攻隊員にまつわる品々が所狭しと展示されています。
11月3日には熊本と埼玉から見学者が訪れていました。
予科練とは「海軍飛行予科練習生」のこと。
少年たちを戦闘機の搭乗員として養成する制度で、予科練を経て特攻隊員となり若くして戦死した人も多くいました。
ーー資料館を管理する川野孝康さん
「15日に終戦となり、死に損なったと悔やんでいた。それから慰霊のために個人で(資料館を開いた)」
資料館を開設したのは元特攻隊員の川野喜一さんです。
35年前、自宅の地下を改装して作りました。
ーー川野喜一さん(1990年)
「多くの方に見てもらって二度と悲惨な戦争を起こさないような平和な国をつくっていきたい」
長年、平和の大切さを訴え仲間の慰霊を続けてきた川野さんですが、おととし、95歳で亡くなりました。
資料館は現在休館しているものの、息子の孝康さんは事前に要望があれば見学を受け入れています。
ただ、今後の資料館の管理を考える中、ある決断に至りました。
ーー川野孝康さん
「来年の8月14日に閉館しようと思っています」
ーー見学者
「閉館するのは変わらない?」
ーー川野孝康さん
「私のあとはどなたがしてもらえるかな。私がどこまで出来るか」
孝康さんは資料館が開設された日と同じ来年の8月14日に閉館することを決めました。
その重い決断は父が集めた貴重な資料をしっかりと後世に引き継ぐためです。
ーー息子・川野孝康さん
「父の思いが引き継がれるのが一番いいので、護国神社に寄贈、移転、再展示をお願いした」
膨大な展示品は戦没者の慰霊を行う大分市の県護国神社が引き継いでくれることに。
展示品の運び出しは10月下旬から始まりました。
適切な管理や整理のため、戦争の歴史を研究する県内の団体が協力しています。
ーー豊州戦史研究会 野崎哲司代表
「この写真なんか、真珠湾攻撃をしている最中の写真ですし正直この写真が残っているだけでもすごいなと思います」
県護国神社では戦後80年の節目の年である再来年から展示品を公開することを目指しています。
ーー息子・川野孝康さん
「父が遺した予科練資料館を護国神社にバトンタッチする役目ではないかなと思っている。過去を知って、平和が少しでも続けばいい」
戦後78年…。
戦争の経験者は少なくなるものの、その記憶を伝える大切な資料はしっかりと後世へと引き継がれようとしています。