広がる“産後ケア” 発達のチェックや悩み相談など「些細なことでも利用して」 別府市では新サービスも
日本で唯一、大分県の国東だけで生産されている畳表の材料「七島イ」。
現在、生産を行っているは6軒だけ。
350年を超える歴史がある七島イの価値がいま見直されています。
一方で、慢性的な人手不足という課題も…
七島イの2023年の現在地を取材しました。
ほとんどが手作業 江戸時代から続く生産
大分県国東市安岐町。松原正さんの田んぼ。
8月から9月中旬が七島イの刈り取りの季節です。
国東には350年を超える七島イの歴史があります。
七島イは江戸時代から昭和の中頃まで畳表の材料として日本の庶民の暮らしを支えてきました。
しかし昭和40年以降、畳表はイ草にとって代わられ国東の七島イは衰退していきました。
イ草と比較して七島イは大変手間がかかるものだからです。
5月の植え付けは手作業で行われます。刈り取りも手で行います。
七島イは植え付けから収穫、そして畳表に織りあげていくまで機械化が難しくほとんどが手作業なのです。
見直されるその価値
長い間、苦しい時代を送ってきた七島イの生産農家さんでしたが2010年に発足した「振興会」の活動が実を結び始めています。
ここにしかない七島イをPRしその価値が広く知られるようになりました。
価格も以前に比べるとぐっと引き上げることができました。
そしてなんといっても認められたのはそのクオリティ。
若草のような優しい香りと素朴な風合い。耐久性はイグサの3倍です。
自然志向や本物志向の人たちの関心は高く、多くの高級旅館が七島イを使った畳を取り入れています。
理想の青を追い求めるチャレンジャー
松原さんは七島イの栽培を始めて31年目。
学者肌の松原さんが作る「七島イ」は市場で高い評価を得ています。
ーー七島イ生産者 松原正さん
「七島イ表はいろんな呼ばれ方があるんですけどね“青オモテ”そういった呼ばれ方もするんですよ。空の青、ブルー、その色を出すため必ず1回は日光の紫外線にあてて、それから出荷するようにしています。それはこだわってますね」
松原さんは七島イを「高級畳表」に引き上げた功労者。
常に理想の青を追い求めています。
七島イ農家は慢性的な人手不足
この日、松原さんのもとにお手伝いに来ていた男性がいました。
東京北区で110年続く畳屋さんの4代目・八巻さんです。
ーー八巻畳店(東京・北区) 八巻太一さん
「注文しても半年待ちとか1年待ちなんです。それぐらい今、農家さんが減ってるっていうのもありますけど手に入りにくいものになってます」
国東の七島イの役に立てばと八巻さんは3年前から植え付けや刈り取りの手伝いに来ています。
七島イ農家は慢性的に人手不足の状況が続いているのです。
ーー八巻さん
「僕が知っている限りすごく貴重なものですと言うと、お客様がものすごく喜んでくれるんですね。そういうのを農家さんに伝えていきたいと思います」
350年続く国東の七島イ 大分の宝をどう守る
今、七島イは「どう売るか?」…よりは「どうやって作っていくか」が課題となっています。
ーーくにさき七島藺(シチトウイ)振興会 細田利彦事務局長
「一番の課題は、やっぱり新規就農者を増やすということですよね。そこに多くの方たちがこの産業に参加して、国東はやっぱり楽しく魅力のある地域にしていきたいなっていうのが私の最終的な目標ではありますね」
350年続く国東の七島イ。
新たに関わる人をどうやって増やしていくか。大分の宝を守るための大きな宿題です。