「戦争の話を聞けなかった」後悔‥元特攻隊員の孫 資料が伝える「平和の尊さ」

2022年10月29日 11:00更新

ことしで戦後77年。

戦争の記憶の継承が課題となる中、大分県大分市にある特攻隊の資料館も去年、元特攻隊員の館長が亡くなり休館しています。

 

しかし、残された資料から平和の尊さなどを改めて見つめようという人たちが訪れています。

 

いかに若者を戦場に駆り出したか‥

 

9月26日、大分県大分市で開かれた戦争と平和をテーマにした展示会。

会場には特攻隊員の写真や遺書などが展示されていました。

 

 

◆展示会を企画 長野義人さん

「あの時、いかに若者たちを戦場に駆り出したか。これを是非皆さんの目にふれてほしいなと思って資料をお借りしてきた」

 

「二度と戦争を起こさないように」元特攻隊員の思い

 

展示品を貸し出したのは大分市上野丘にある予科練資料館です。

 

 

予科練とは「海軍飛行予科練習生」のこと。

少年たちを戦闘機の搭乗員として養成する制度で、予科練を経て特攻隊員となった人も多くいました。

 

この資料館が開設されたのはおよそ30年前。

元特攻隊員の川野喜一さんが自宅の地下を改装して作りました。

 

◆川野喜一さん(1990年)

「こういう資料館をつくって多くの方に見てもらって、二度と悲惨な戦争を起こさないような平和な国をつくっていきたい」

 

長年、来館者に平和の大切さを訴えてきた川野さんですが、去年8月、95歳で亡くなりました。

 

 

 

現在、資料館は休館していますが、息子の孝康さんは来館の要望があれば資料館を開け、父の思いを次世代に受け継いでいこうとしています。

 

◆川野喜一さんの息子 孝康さん

「資料館を整理する中で、これからじわじわ再度父の思いが伝わり、見学者に少しでも説明ができればいいと思っています」

 

 

 

“特攻隊員の孫”が資料館に

 

この日、1組の親子が資料館を訪れました。

福岡県の須川可愛さんと小学6年生の龍志郎君の親子です。

 

 

 

館内にある写真に写るのは可愛さんの祖父の高木忠義さん。

特攻隊員でしたが、突撃することなく終戦を迎え73年の人生を全うしました。

 

 

 

「戦争の話を聞けなかった」という後悔

 

そんな祖父について調べ始めた可愛さん。

きっかけは生前に戦争の話を聞けなかったという後悔でした。

 

◆祖父が元特攻隊員 須川可愛さん

「何か伝えたいことがあったのかもしれないっていう、その後悔があります。来てよかったと思いました」

 

祖父の遺品を整理する中で予科練資料館のことを知り、これまで見たことが無かった祖父の写真などを見つけました。今回は家族のルーツを知り、平和について考えてほしいという思いで龍志郎君を連れてきました。

 

◆須川さんの息子 龍志郎くん

「終戦になっていなかったら自分たちもいなかったかなと。ずっと平和な方がいいという感じですね」

 

 

 

戦後77年。

戦争経験者が少なくなる中、大切に保管された資料も今を生きる私たちに平和の尊さを教えてくれています。

 

 

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