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地域を象徴する建物や空間=ランドマーク。
地域に溶け込み、そこに住む人たちの暮らしと共にあるランドマークですが、中にはその役目を終えて取り壊され、人々の記憶から消え去ろうとするものもあります。
時代の変遷と共に姿を消したランドマークの「今」を訪ねるシリーズー
今回は大分県中津市にあった地方競馬場です。
競馬ファンの夢とロマンが詰まった場所、競馬場ー
中津市大貞地区にあったのが市営の競馬場「中津競馬場」です。
戦後間もなく公営競馬となり、熱狂的なファンが多く訪れました。
昭和54年度には130億円の売り上げを記録するなど中津市の財政に寄与。
インフラの整備にも大きく貢献しました。
ーー当時、厩務員として競馬場で働いていた小梶好則さん
「すごかったですよ賑わいが。駐車場も止められなくなるような状態」
公営競馬として地域を支えた中津競馬場。
しかし、バブル経済の崩壊やレジャー、ギャンブルの多様化などのあおりを受けて年々客足が遠のいていきます。
1999年度の売り上げは最盛期の3分の1以下となる40億円を切るなど苦しい経営が続いていました。
そうした中、2001年、当時の市長が競馬場の廃止を発表します。
生活の場を失うことになった関係者に大きな衝撃が走り、法廷闘争にも発展しますが結局、この年に中津競馬場はその歴史に幕を閉じることになりました。
競馬場があった場所を訪れてみると、当時の面影をかろうじて残していたのは、最盛期に約300人が暮らした「厩舎団地」の壁の一部のみとなっています。
レースに出場する騎手はもちろん、馬の世話をする厩務員やレースの予想業者などが競馬場と共に生活を営み、にぎやかな「町」を作っていたそうです。あれから21年の月日が流れ、中津競馬場があった場所は今、運動公園やスーパーなどに変わっています。
ーー小梶好則さん
「テレビで馬が映ったり、競馬があったり、馬を見た時に”あぁ中津競馬場もあったなぁ”と思ってくれれば十分です」
市営の競馬場として地方財政にも寄与した中津競馬場ー
大分にも人と馬が共に熱くなった競馬場があったことを記憶の片隅に留め、私たちは次なる「ランドマーク」へと足を運びます。
(サタデーパレット取材班 【別府にあった巨大「大仏」】に続く)