戦時中の映像に父の姿…娘「じんときた」大分の団体が旧日本軍撮影映像を公開 搭乗員の手記で時期など特定

2026年05月23日 09:00更新

大分県宇佐市の団体が公開した戦時中の映像に映っていたのは父の姿でした。

 

映像を初めて目にし、戦争を経験した父に思いをはせる大分市の女性を取材しました。

 

 

1944年10月30日のフィリピン東方海域で、敵艦を目掛けて突撃する「ゼロ戦」。およそ80年前の太平洋戦争でアメリカ軍が撮影した旧日本軍の特攻の映像です。

 

 

1945年3月18日に九州南東海域で撮影された映像には、対空砲火で被弾し、海面に墜落する爆撃機の姿も…

 

  

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

 「日本が今のところ、最後に経験した太平洋戦争がどうだったのか、というのを考えてもらいたい」

 

 

アメリカから戦時中の映像を取り寄せ、分析する豊の国宇佐市塾。毎年、撮影場所や時期を特定できた映像を公開しています。

 

 

今回は5月9日に14点を公開。その中には分析した織田祐輔さんも「珍しい」と話すある映像がありました。

 

 

 

 

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

 

「1943年(昭和18年)4月7日。旧日本軍が撮った映像」

 

 

墜落した旧日本海軍の機体からアメリカ軍が回収したフィルムに記録されていた映像。

 

 

現在のパプアニューギニアにあったブイン航空基地から出撃する爆撃機の様子がとらえられていました。

 

 

そして、出撃前の搭乗員の姿も…

 

 

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

 

「基本的に階級順で並んでいる。2番目に階級が高い人になるので、ここに松浪さんが立っている」

 

 

 

大分市出身の松浪清さんです。

 

 

戦後に書いた手記に映像を撮影し、戦死した搭乗員についての記述があったことから、時期や場所の特定につながりました。

 

 

◆『命令一下、出で発つは』(光人社 著:松浪 清 )より

 

「アイモ(=カメラ)をだいたまま壮烈な自爆戦死をとげたのだ」

 

「一掬の涙を禁じ得ない」

 

 

 

ーー松浪さんの次女・堀端優子さん(72)

 

「べらんめぇじゃないけど、こういうときもマフラーをしていない。間違いない」

 

 

大分市に住む松浪さんの次女・堀端優子さん72歳です。

 

宇佐市塾が公開した映像を報道で知り、一目見た瞬間、映っているのが父だと確信しました。

 

 

戦時中、海軍の飛行兵だった松浪さん。

 

映像が撮影されたこの日、松浪さんも偵察員として出撃しましたが、エンジンの不調で引き返したということです。

 

その後も敵の戦闘機と交戦してけがをしたり、特攻隊員に指名されるなど、死と隣り合わせの日々を過ごしてきましたが、1945年に終戦を迎えました。

 

 

 

 

戦後は陸上自衛隊に入隊。妻との間には2人の娘に恵まれ、幸せな家庭を築き、2002年、82歳でこの世を去りました。

 

 

自身の戦争体験を手記で残していましたが、家族にはほとんど当時の悲惨な状況を語らなかったといいます。

 

 

ーー松浪さんの次女・堀端優子さん(72)

 

「(映像を見て)じんときた。やっぱりうれしかった。あんな風に頑張っていたのかなと」

 

 

 

 

5月16日、堀端さんは宇佐へ。

 

宇佐市塾が戦時中の映像を一般公開した会場を訪れました。

 

 

堀端さん)

 

「びっくりしました。ありがとうございます。うれしかったです。父も喜んでいると思います」

 

織田さん)

 

「よかったです。お父様の手記があったからこそ、映像がわかったので、本当にありがとうございます」

 

 

映像を分析した織田祐輔さんに直接感謝の思いを伝えた堀端さん。

 

そして、映像を見て、解説に聞き入っていました。

 

 

ーー松浪さんの次女・堀端優子さん(72)

 

「織田さんには感謝しかない。頑張ってほしい。応援したいと思っている」

 

 

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

 

「あの戦争が何だったのか、というのを後世に問いかけるため、こういう活動をやっている。今後もずっと続けていきたい」

 

 

2026年で戦後81年。

 

戦争経験者は少なくなるものの、残した記録や平和への思いはしっかりと次世代へと受け継がれています。

 

 

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