湯布院の辻馬車は半世紀前の地震で誕生「最初は苦情ばかり」も今や観光の顔に【大分】

2023年06月17日 07:00更新

九州を代表する観光地の1つ湯布院。街を走る辻馬車は走り始めてもうすぐ半世紀を迎える湯布院観光の顔ともいえる光景です。

辻馬車が走りはじめるきっかけは地震だったのですが、実は開始当時は「苦情ばかり」だったそう。いかに観光、そして日常の風景になったのかお伝えします。


 

のどかな風景と辻馬車

 

多くの観光客がスマートフォンやカメラを片手に写真を撮る湯布院観光の名物・辻馬車。白い毛並みが特徴的な馬の名前は「ユキちゃん」。
馬車を走らせる御者の佐藤さんと共に21年に渡って活躍する大ベテランです。

――御者・佐藤宏信さん
「すごくじゃじゃ馬だったんです、最初は。そこから馬車に慣れて。全国的に見ても長く元気で無事故でやっている馬ってあまりいないらしく、リピーターも大勢いる。年に10回来る人もいるくらい」

辻馬車は由布院駅を起点に田園風景が広がる盆地を周遊します。道行く人と手を振り合いながらの約1時間の旅。

のどかな風景と心地良いひずめの音、 御者の軽妙なトークにお客さんの頬も自然と緩みます。

――御者 佐藤宏信さんインタビュー
「ユキちゃんは今まで2万回近くここを歩いている。15万人以上を案内したことになると思う。この子も今年24歳なのでこれから徐々に仕事の量は減らしていく。仕事を辞めてしまうとそこで調子を崩す馬も多いみたいで。仕事量調整しながらできるだけ長く働いてもらいます」


 

「湯布院が無くなった」誕生のきっかけは地震

 

現在、ユキちゃんを含めて4頭が辻馬車を引いています。今では町の名物となっている辻馬車ですが、その誕生のきっかけは1975年に町を襲った「地震」でした。

――由布院玉の湯会長 溝口薫平さんインタビュー
「 私は観光協会長だった。(地震で)被害もありましたが、報道がもう湯布院がなくなったみたいに、これは大変だと」

湯布院ブランドの礎を作り街づくりを牽引してきた人物の1人、溝口さん。今から50年近く前、地震による被害が実際よりも大きく報道されたことによって客足が途絶えてしまったと話します。そこで、地震からの復興のため溝口さんをはじめ街の若者たちが選んだのがヨーロッパ視察で目にした辻馬車でした。

――溝口さん
「対馬に行く木曽と対馬に小型の大衆馬がいるということで、すごくおとなしい馬だからそれならば素人でもなんとかなるだろうということで5頭買いました」


 

親しまれるまでは苦労も…

 

馬の調教も馬車作りもすべて自分たちの手で行い、御者も歴代の観光協会長自らが務めたといいます。

――溝口さん
「 歴代の観光協会長が馬を引くということが一つの話題。それと旅館の親父が馬を引くという話題性。だけど慣れていくまでは大変。自分の家の前に馬糞があるから掃除に来いとか、街の中で馬が駆け回って寝られなかったとか苦情ばっかりだった。街の中で認知されるまで、町民から親しまれるまで 1年から1年半は最低かかりました」

溝口さんが当時、辻馬車を引く時にはイタリア製の帽子を被っていました。

――溝口さん
「こういうことは粋にハイカラにそうやらないとね、田舎のおっさんが何か麦わら帽子被っていてもかっこよくないですよ」

そして今では観光コンテンツとしてだけではなく湯布院の日常の風景になっています。


 

これからも変わらない風景を

 

――由布院温泉観光協会会長 太田慎太郎さん
「今はシンボル。辻馬車の歩みを止めない姿は湯布院が前に向かって進んでいるという姿に近い感じがします。観光で一番苦しいのは、お客様がいらっしゃらない時。熊本地震の後にお客様がいなくても辻馬車を走らせようとか辻馬車を早く復活させようとか。コロナ禍でも止めずにやっぱり走らせようとか。カッポカッポと歩いてくれるだけで、今日も湯布院観光は生きているっていう、自分たちの生存を確認するようなツールになっています」


――溝口さん
「町の風物詩として 湯布院といえば辻馬車っていうぐらいになって。時間はかかったけど良かったなぁと思いますね」

震災からの復興に向けて走り始めた辻馬車の歩みはもうすぐ半世紀。

多くの困難を乗り越え、これからも変わらない湯布院の景色をつむいでいきます。

 

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