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(2020年3月26日放送分)
大分県玖珠町に住むアメリカ人男性が、兵士だった祖父が残した写真を頼りに祖父の日本での足跡をたどる活動を行っています。
2020年に長崎で行った調査の中で気になる1枚の写真が浮かび上がってきました。
◆トレバーさん
「これが原爆の後の状態。何もないね。昔、今は…」
◆小学生
「お~」
玖珠町の小学校や中学校で英語を教えるアメリカ出身のトレバー・キャロル・スレビンさんです。
2020年2月、日出生小学校で平和についての特別授業を行いました。
題材は祖父が持っていた写真です。
トレバーさんの祖父、キャロルさんは第2次世界大戦中、アメリカ海兵隊に所属し、終戦直後には原爆で被害を受けた長崎に赴任していました。
キャロルさんは、トレバーさんが生まれる直前にこの世を去っています。
トレバーさんは来日をきっかけに、祖父が残した長崎で撮られたとみられる写真の撮影場所を探す活動を続けています。
◆トレバーさん
「また5枚も見つけた。僕はびっくり。お父さんはもっとあるよ。えっ、ほんと?なんで教えなかった(笑)」
トレバーさんは去年の年末、アメリカの実家で新たな祖父の写真を発見しました。
見つかったのは映画館や街の様子などをとらえた5枚です。
トレバーさんは写真のことを調べるため、およそ4か月ぶりに長崎へ。
今回も協力を求めたのは、原爆投下後の長崎の写真を収集する団体です。
◆長崎平和推進協会 松田斉さん
「長崎の中心部の橋なんですよね。ちょうどこういう状態で撮影された」
写真を分析した松田斉さんの協力で、5枚のうち、2枚の場所を特定できました。
前回も16枚の写真を分析した松田さんは、撮影場所がいずれも近くであることから、多くが同じ日に撮られたのではないかと推測しています。
ただ、その中の1枚の写真をみてある疑問が沸いてきたといいます。
◆長崎平和推進協会 松田斉さん
「ここなんかは結構焼け跡の中に入っていかないといけないところなので、何をしに来たのかという感じ」
一面にただ、瓦礫が広がるこの写真。
象徴的な建物などが写っているわけでもなく、無機質な印象を受けます。
爆心地から500メートルほどの場所で撮影されたもので、当時はこの場所を訪れるのも容易ではなかったと考えられます。
撮影場所を訪れたトレバーさん、祖父が写真とともに家族に送ったという手紙の一節を口にしました。
◆トレバーさん
「写真が全てを表せるわけではないが、ただ、どんなものかわかるのではないですか」
祖父が写真で伝えたかったことは何なのか?
トレバーさんの探求心を駆り立てます。
◆トレバーさん
「謎は謎のままのほうがいい。ますます探す意欲がわくから」
戦後75年という節目の年に被爆地長崎を訪れたアメリカ人男性。
1枚の写真が物語る今は亡き祖父からのメッセージに思いを馳せています。