【書道パフォーマンスの先駆者】書道家・吉野由紀 全国初の新たなプロジェクト
地域を象徴する建物や空間である「ランドマーク」。
地域に溶け込み、人々の暮らしと共にある存在ですが、中には時代の変遷と共に姿を消したものも数多くあります。
長年、地域の人に親しまれてきた「消えたランドマーク」の今を訪ねるシリーズ。
今回、紹介するのは泉都・別府市にあったランドマークです。
やってきたのは住宅地の中にある墓地…ここにはかつて、高さ24メートルの「別府大仏」がありました。1926年に建てられた別府大仏は高さ24メートルのコンクリート製です。
その大きさはなんと東大寺の大仏の約1.6 倍!
大仏の耳だけでも成人男性を遥かに超える大きさでした。
別府の街に鎮座していた大仏。その佇まいはまさに「ランドマーク」と呼べる存在感ですが、 いったい誰が何のために建てたのでしょうか?
ーー平野資料館 平野芳弘さん
「大仏をぜひ建てようと言い出しのが岡本栄信さん」
別府生まれの岡本栄信さんは当時、生業としていた船舶業で成功し、莫大な資産を手にしていました。
その岡本さんが「世の中の安定を願って別府に大仏を作ろう」と考え、私財を投じて大仏を建立したそうです。
その別府大仏、実は亡くなった人を供養するために、コンクリートに遺骨や遺灰を混ぜて作られたと伝えられています。
この巨大な別府大仏は別府の観光名所になります。
大仏が建立された1926年は別府市の地獄めぐりバスツアーが始まった年でもあったため、全国から多くの観光客が訪れたと言います。
地域のランドマークとして注目された別府大仏ですが、実はある問題が…
あまりに巨大過ぎるため、大仏を保護するための「囲い」が作れなかったことです。
その結果、長年風雨にさらされ続け老朽化が進み、1989 年に解体されることになりました。
ーー平野さん
「今は私の心の中に残っています…」
今回のシリーズ企画では佐賀関の大煙突、中津市の競馬場、別府の大仏と、消えたランドマークの今を探ってきました。
長年親しまれたランドマークも、時代が移り変わることでその役目を終えたり、老朽化などを理由に取り壊されたものも数多くあります。
しかし、形が無くなった後も、ランドマークはそこに住む人の心の中に「地域のシンボル」として存在し続けていました。
(サタデーパレット取材班)