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バンドマンから和菓子店に転身
バンドマンとして観客を熱狂させる日々に明け暮れていた殿畑敦士さん。ある日、父親からかかってきた1本の電話をきっかけに地元・大分県に戻り、家業を継ぐという決断をすることに。
決断の裏には「祖父との思い出のお菓子」をこのまま無くすわけにはいかないという熱い思いがあった。70年の歴史を受け継ぎ、進化させようと奮闘する後継ぎを取材した。
熱い思いを持つ後継ぎ
大分県では家業の後継ぎを支援するプログラムを展開している。2022年にスタートしたこのプログラム「GUSH!」では、約7ヶ月という期間の中で新商品の開発や新規事業の立ち上げにチャレンジする後継ぎを支援。
専門家のアドバイスや他業種との交流を通して事業を作り上げていく。今年度はフグの卸専門店や自動車販売業の後継など個性豊かな9者が参加し、家業の未来を担うべく奮闘している。その中で今回は「中津市を代表する老舗のお菓子を製造販売している会社。歴史ある家業に人一倍思いが強い後継ぎ」を取材した。
話題のアニメ映画にも登場 70周年の「ビスマン」
その後継ぎが務めているのは殿畑双葉堂。明治22年創業という老舗の和菓子店だ。
お店の看板商品は今年で70周年を迎える「ビスマン」。外はさっくり、甘い香りが口に広がる洋菓子と和菓子が融合したような懐かしいお菓子。2024年には山田尚子監督のアニメ映画「きみの色」のワンシーンに登場したことでも話題となった。
そんなビスマンに人一倍強い思いを持っているのが5代目の敦士さんだ。
前職のバンドマン時代に父からの1本の電話
前職はなんとバンドマン。家業を継いだきっかけは父からの一本の電話だった。
――敦士さん「普段(電話は)ないんですけど。ああ。どうしようかって。その時に、来たなっていう」
音楽活動を続けるか、家業を継ぐか悩む中で頭に浮かんだのはビスマンの存在。
祖父との思い出のビスマン
――敦士さん「先々代、3代目が僕のおじいちゃんに当たるんですけど、おじいちゃんが、あの当時、ビスケットが高級な時代だったので、そのビスケットのようなお菓子を子供たちに食べさせたいというところからできたお菓子になっている。なにせ先々代先のおじいちゃんに大変可愛がられたので。そのおじいちゃんが作ったビスマンがこのままだと無くなるのかなっていったところから。メンバーに理由を言って、引き返した」
ビスマンのブランディングを考える
2016年に帰郷。従業員と一緒に考え、コミュニケーションを取りながら製造工程や会社の運営体制の見直しを図った。
そんな中で敦士さんがGUSH!で取り組む事業の中心にあるのはやはり「ビスマン」。
――敦士さん「自分の中で新規事業というよりはビスマンのブランディング力を高めたいというのが一心強くある。このロゴも当時のままなんです。ロゴが結構、レトロ可愛いと言っていただくのがあった。ロゴを使用してのグッズ化を図っていきたいと思っています」
元バンドマンとしてのこだわり
開発中のグッズの1つがオリジナルTシャツ。デザインに元バンドマンとしてのこだわりが。
――敦士さん「バンドTシャツみたいな。Tシャツの裏には、創業からの今までの歴史を英語で書いている。まずは従業員に着てもらおうと思って。」
そんな敦士さんの働きぶりを父の安司さんはどう見ているのだろうか?
――安司さん「結構、自分の意見をしっかり言って、やった以上は行動にすぐ移す。いいんないかなと非常に思いますね。このまま、しっかり幅の広い人間なってほしいなと思います」
「たかがビスマン、されどビスマン」
お店の看板商品であり、祖父との思い出のお菓子でもあるビスマン。敦士さんにとってビスマンとはー
――敦士さん「僕の中で少し汚い言葉かもしれないですけど、たかがビスマン、されどビスマンという言葉かなと僕は思っています。やっぱり昔を追い続けてもだめですし、かといって変えすぎても駄目ですし。手を抜くわけでもなく、考えを落とすわけでもなく、さらなるビスマンを世に広めていきたいというふうに思っております」
家族の歴史と情熱が詰まったお菓子を今に、そして次の時代にも。熱い思いを持った後継ぎが家業に新しい息吹をもたらしている。