【引退会見・後半】元日本代表・大分トリニータ梅崎司選手「このクラブの監督になることが自分なりの恩返し」全文

2024年11月29日 13:00更新

梅崎司選手が11月15日、引退会見を開き現役生活を振り返るとともに、今後への決意も語った

 

リーグ最終戦後の11月11日に今シーズン限りでの現役引退を発表した、大分トリニータの梅崎司選手37歳。サッカー日本代表でもプレー経験がある梅崎選手が15日、引退会見を開いた。20年に及ぶ現役生活を振り返るとともに、今後への決意も語った。そのインタビュー全文を伝える。【後半】

 

 

(Q梅崎選手は大分トリニータにとって「クラブ初」というのをたくさんもたらしてくれた。クラブの歴史とともに、自分のプロ生活はどういうふうなものだった)

 

 

◆梅崎司選手

 

自分にとって本当に最高の環境だった。

 

メンタル的に追い込まれる苦しい、厳しいこともたくさんあったが、僕は努力して何かを掴むというものが多分自分にすごく合っていたと思うし、多分それがないと今もここまでプレーできていなかった。

 

そういったなかで、サポートしてくれる方々がたくさんいて、サッカーを教えてくれる方がたくさんいて、厳しい先輩もいましたけど、自分を思い切って起用してくれる監督さんだったりコーチングスタッフがいて感謝でしかない。

 

そしてまた戻ってこられたっていうのが何より嬉しい。

 

 

J1の湘南でプレーがあまりできていないとき、西山哲平さんをはじめ、このクラブが尽力してくれて、僕を(トリニータに)戻してくれて、それだけでも嬉しかった。だから自分が得てきた経験を絶対伝えなきゃと。

 

それができたか分からないが、(下部組織出身選手では初めて)キャプテンもやらせてもらって、自分なりにチームに何かプラスのいいものを与えればという思いで必死にやってきた。

 

若くして跳ね上がって一気に駆け抜けたときの自分とは、また違うものをやらせていただいたっていうのもすごくありがたく感謝しかありません。

 

 

 

 

自暴自棄になり、もう選手として終わるのかなと思った時期も

 

(Q今日は20年の締めくくりということなので、浦和レッズに向けてもひとこと)

 

 

浦和は、2008年に自分が加入する前の年(2007年度)に、日本で初めて、アジアチャンピオンズリーグを制して、その前年はJリーグでも優勝。天皇杯を獲っていて本当に日本で一番のクラブという印象だった。

 

 

そのような中で、オファーをもらって僕はもう「ここで活躍できれば、直接日本代表につながる、そして海外のチャレンジにつながる」という思いで、入団させていただいたが、現実は甘くなく、大きなけがを2年目から繰り返した。

 

 

約2年近くプレーできない時期になり、そんな中でも、本当に素晴らしいメディカルチームがいて、ずっとサポートし続けてくれた。

 

正直、自暴自棄になった時期もあり「もう選手として終わるのかな」と思う時期もあった。本当に苦しい時期を長い期間味わった。

 

だけど熱いサポーターも含めて、たくさんの人にサポートしてもらい復活することができて、本当に感謝しかない。

 

 

そして埼玉スタジアムで、僕のプレーでスタジアムが揺れる感覚を何度も味わうことができた。サッカー選手としてこれほど幸せなものはないと思う。

 

プロのキャリアで一番長くプレーさせてもらい、本当に浦和には感謝しかありません。

 

浦和と契約の延長の話もあったが、本当に自分と向き合って自分はどうしたいのかと。もちろん浦和でプレーする価値はすごく高いと思うが、「自分がどんなプレーをしたくて、どんな挑戦がしたいんだ」ということを今一度、考えさせてくれるクラブ、そして監督と出会うことができて、自分の決断が間違ってなかったなって思う。

 

 

そして、湘南ベルマーレで、本当に仲間と切磋琢磨しながら得たルヴァンカップのあの景色は、自分の価値観の中で違った喜びがたくさん生まれて、本当に幸せだった。

 

 

 

選手、一人一人を本気で思ってあげられる監督になっていきたい

 

(Q今後、Jの監督を目指すということですが、どんな監督になりたい)

 

分からないですね。戦術とかも自分の中で明確なものがあるわけではないし、どういう道で行けばいいのかというのも、全然決まっていない。だけど一つ言えるのは、その選手、一人一人を大切にできる、本気で思ってあげられるコーチ、監督にはなっていきたい。

 

 

(Q昔「西川選手と、自分たちが現役のうちに優勝して駅前をパレードしたい」と話していた。現役では達成はできなかったが今後監督として達成できるのでは)

 

 

達成したい。でも本当に選手以上に茨の道だと思う。正直数も少ないし、でもだからこそ自分が挑戦する価値がある。選手以上の感動とか興奮って味わえないかなと僕はずっと思ってサッカーをやっていたが、唯一感じられるのはもしかしたらそこの舞台なのかなと。そういう思いもあって、そこに挑戦したい。

 

 

(Qサポーターに向けて)

 

 

本当に感謝しかありません。フランスに行ってから半年で戻ってきて、最初の1戦目が鹿島との試合で、2対2の引き分けだったかな。その時に「司待ってたよ!司おかえり!またこのチームを頼む」というのを多くの方に言われたことが、すごく印象的で、めちゃくちゃ思い出。

 

自分の夢で海外に挑んで、そして負けて、でも戻って来られる場所があり喜んでくれるサポーターの皆さんがいて、本当に自分は幸せ者だなというのを、あの時感じた。

 

 

その半年後には浦和に移籍したが、それでもずっと応援してくれて、浦和の試合にもたくさん来てくれて、湘南に行っても応援してくれた。

 

そして戻ってきたら、もっとさらに迎え入れてくれて、また違った形で「チームを頼む」っていうのを言われていたような感覚がすごくあった。

 

自分はそんな大きな人間ではないが、自分に託してくれるような感覚もあった。それは多くの選手が感じられることではないと思うので本当に感謝でしかありません。ありがとうございます。

 

 

 

自分なりの経験を生かしてトライした1年間

 

(Q大分に2年前に帰ってきて「大分に残したかったこと」は。そして、その残したかったことを残せたか)

 

 

昨年、キャプテンをやらせてもらって「この年でJ1に戻るんだ」っていう自分なりの覚悟を持って挑ませてもらいました。

 

だけど結果はプレーオフにも入れず結果を残すことができなかった。そういう意味では残せなかったと思います。

 

だけど1年間自分なりのキャプテン像とか、リーダー像に向かって走ってきた。それがいいように働いた時もあれば、逆に自分らしさを失う時もあったが、全てを応援してもらっていたという感覚があった。

 

 

下平前監督が本当に自分に対して感謝を言ってくれて、すごくそれは嬉しかった。

 

もちろんけがで離脱してる期間も長かったが、自分なりの経験を生かしてトライした1年間でもあった。そういう意味では得られたものもたくさんあったのかなって思います。

 

 

 

 

このクラブの監督になることが自分なりの恩返し

 

(Qホーム最終戦は、試合に出場前から梅崎選手へのチャントが飛んでいたが、サポーターからの檄といった部分はどういう風に感じていたか)

 

 

ウォーミングアップの最初からロッカーに自分が戻るまで、ずっと自分の歌を歌い続けてくれて、本当に嬉しかった。

 

そして終盤75分くらいからか、自分も想像していなかったが、自分チャントを歌ってくれて「みんなが見たがってくれてるんだな」とすごく感じた。

 

サッカー選手をやって来られて、 そして大分で育って大分に戻ってくることができた。自分は本当に幸せ者だなって感じることができた瞬間でした。

 

1点取られたのは誤算だったんですけど。でも出られて良かったです、最後。

 

 

(Qホーム最終戦後、次皆さんと会う時は大分の監督になってという話もあったが)

 

 

本当にこのクラブへの思いや感謝をすごく持っている。そして自分が、これからどうなっていきたいかという夢や野望っていうのもある。何が恩返しできるかと考えた時に、やっぱり自分がこのクラブで監督になって、監督として何をもたらせれるかどうか。それが一番自分の中で恩返しとして描けるものだし一番大きなものになるんじゃないかなと思っている。

 

 

この先どうなるか分からないが、そういった機会が生まれれば僕は死んでもいいかなと思ってます。

 

まあ、こればっかりでどうなるか分からない。僕がまずそもそも力をつけなきゃいけない、ライセンスも取らなきゃいけない、コーチとして学ばなきゃいけない。

 

不安はめちゃめちゃある。だけど間違いなくこの20年間どんな苦しいことも乗り越えてきたという自負があるので、その自信と誇りを持って次のステージに臨んでいきたい。

 

 

 

サッカーを純粋に楽しんで、みんなで喜びあえるようなチームになってほしい

 

(Qこの1年間トリニータのチームの戦いを見てきて感じたもの。そしてトリニータが来年以降も戦っていくためにどういったことが必要か)

 

 

もっともっと自分が試合を決めるんだっていう選手が出てきてほしい。これはマインドやメンタル状況だったりっていうのがすごく影響してくるし、その人のパーソナリティも関係してくるので、一概にそれが合う人もいれば合わない人もいると思うが、もっともっとわがままになっていいと思う。自分自身がより成果をあげる、よりなりたい自分に向かっていくために、もっとそこは隠さずというか、もっと気づいて挑戦してほしい。

 

 

その先にいろんなものが見えてくるし、いろんなものが生まれて、違うステージやステップが見えてきたり、チームに変化をもたらしたりとか、いろんな相乗効果が生まれると思うのでぜひ伸び伸びとサッカーを純粋に楽しんで、ピッチに立てることに喜びを感じ、勝つことに執着して、みんなで喜びあえるようなチームになってほしい。

 

 

 

7番像が皆さんの中で、できてるのであればすごく光栄なこと

 

(Q背番号7への思いは)

 

 

7番は僕の中で西山哲平さんのイメージが強い。僕がトリニータに入団した時に哲平さんが付けていて、僕はユース3年目でつけた。あと中田英寿さんに憧れて、僕はずっと7が好きだった。それこそ、湘南ベルマーレでも7番をつけさせてもらい、どのチームでもつけさせてもらって本当に嬉しかった。少しでも7番像が皆さんの中で、できてるのであればすごくそれは光栄なこと。つけられて良かった。

 

 

「クラブ初のA代表選出」「クラブ初の下部組織出身キャプテン」

 

数々の輝かしい歴史を刻んできた梅崎司選手は、大分トリニータをはじめ現役生活で得た自信と誇りを胸に次のステージへと進む。

 

 

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