83年前の映像に記録された家族の姿 初めて見た遺族は…旧日本軍が撮影 大分の団体が分析し特定

2026年10月04日 12:00更新

戦時中の映像の分析に取り組む大分県宇佐市の団体が公開した映像を見て、故人に思いを馳せる人たちがいます。戦死した旧日本兵2人の遺族を取材しました。

   

「豊の国宇佐市塾」では2026年5月、旧日本海軍が撮影した戦時中の映像を公開しました。分析の結果、1943年4月7日に南太平洋のガダルカナル島方面への出撃だと特定。映像には搭乗員たちの姿も映っていました。

 

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

 「一番階級の高い人が敬礼することになるので、 この小隊で一番階級の高い人が中西さんということになる。ほぼほぼ間違いない」

 

映っていた敬礼する搭乗員について、映像を分析した豊の国宇佐市塾の織田祐輔さんは大阪出身の中西義男さんだと話します。

ーー豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん

「血縁の方々に見てもらいたい。生前の姿が映っているというこ とを伝えていきたいし、後世に語り継いでもらいたい」

 

 

 

ーー中西さんの弟・義明さん

「目のところとか、目から鼻にかけて面影ある」

中西義男さんの弟・義明さん(88)です。

義男さんは中西家の長男でした。

映像が撮影されたこの日、出撃したものの、機体の不調で引き返したということです。義男さんはそのおよそ2か月後の出撃で24歳の若さで戦死しました。

 

ーー中西さんの弟・義明さん

「立派な兄貴だと思う。(映像が)出てくるというのはうれしいこと」

 

 

ーー中西さんのおい・中西匠さん

「明さんに見せてあげたかった。喜ぶで泣いて」

 

明さんも戦死した義男さんの弟です。次男だったことから、戦地に向かう義男さんから長男の役割を託されたといいます。

◆義男さんの手紙

<明君が今家で一番大きいのだから、 美佐子や義明や勝ちゃんをかわいがってやらなくてはいけないよ>

 

自分に思いを委ねた義男さんのことを深く知りたいと、明さんは高齢となっても各地を訪ねてまわったといいます。そして2023年、90歳で兄の元へと旅立ちました。

 

ーー明さんの息子・中西 匠さん

「まさかと思っていると思う。動くもの(映像)が残っていたというのは。お墓に報告に行く」

 

 

 

映像を見て、故人に思いをはせる人は滋賀県にも。

 

ーー岡村博之さん

「初めて見た。どんな気持ちで乗っていたのかなと」

 

創業およそ170年の蔵元の6代目、岡村博之さんです。

映っていた飛行する機体が、宇佐市塾によって先々代である祖父の弟・貞之助さんが操縦するものだと特定されました。

 

 

貞之助さんについて、博之さんは家族から11人いたきょうだいの中でも特に優秀で元気な人だったと聞いていたそうです。

 

映像が撮影されたこのあと、機体は対空砲火で撃墜され、貞之助さんは26歳で戦死しました。

この日ともに出撃した大分市出身の元搭乗員が当時のことを手記につづっていてこうした記録によって、映像は特定されたのです。

◆『命令一下、出で発つは』(著:松浪 清/光人社)

<温和で、紳士的な岡村中尉が、被弾機をあやつりながら、敢然として体当たりする姿を想起すると、身のひきしまる思いがする>

 

 

ーー祖父の弟・貞之助さんが戦死 岡村博之さん

「どんな気持ちで逝ったのかなと。悔しい部分もあるし、非常に複雑。本当に」

時を超えて受け継がれた親族が経験した戦争の記憶。在りし日の姿をとらえた映像は平和の尊さを伝えています。

 

 

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