佐賀関で建設計画「復興住宅」 熊本地震被災地の復興住宅では様々な声 大分大規模火災5か月
2025年11月に大分県大分市佐賀関で起きた大規模火災で自宅が全焼した漁師の男性が佐賀関の地での生活を取り戻そうと歩みを進めています。
「大好きな地域でまた暮らしたい」。復興への思いを取材しました。
佐賀関の漁師永倉和久さん38歳。出身は兵庫県で12年前に一本釣りの漁師を夢見て、佐賀関に移住してきました。
◆漁師・永倉和久さん
「関あじ。ちょっと小ぶりだけどやったね」
地元の人に支えられながら「夢」を叶え充実した日々を過ごしてましたが今回の火災に見舞われます。
永倉さんの自宅は被害の大きかった田中地区にあり全焼しました。
◆永倉和久さん
「床下まで全部探してなんか残ってないかって全部探して。全然残っていない」
立ち入り許可が出た当時は毎日現場に通い、思い出の品などを探したもののほとんどが燃えてしまっていて漁の道具も失いました。
◆永倉和久さん
「考え出すとしんどい。漁具もそうだけど、一番ショックだった夫婦で落胆したのは、息子のへその緒を無くした。息子の大事なものが燃えてしまったのが僕は残念」

一時は地元の兵庫県へ戻ることも考えたそうですが、住んでいた田中地区から歩いて10分ほど離れた地区に空き家を借りて家族で暮らし始めた永倉さん。
佐賀関に残ることを決めたのはこの地で育ってきた小学生の息子・武君の存在があったからです。
◆永倉和久さん
「地区のおっちゃんおばちゃんたちには本当にかわいがってもらって、関っ子でいたいっていうのが彼の一番の希望」
武君は休みの日には必ず地域の人が集まる公民館へと足を運んでいます。
被災した人たちにとっても武くんの明るさが心の支えになっているそうです。
◆田中地区に住む渡辺忠孝さん
「太陽みたいな子。(会うと)本当に明るくなっていろんな嫌なことがなかったかのようなそんな感じになる」
◆武くん(7歳)
「みんな仲がいいから、みんなが好き」
◆永倉和久さん
「ずっと赤ちゃんの時からこの地区で子育てさせてもらってみんなが親でありじいちゃんばあちゃん」
また、火災後、漁に出られない日が続いていた永倉さんが漁を再開したのも武君の「漁師のお父さんがいい」という言葉がきっかけでした。現在は仲間から分けてもらった道具を使いながら漁に励んでいます。
それでも、「大好きな田中地区に戻ってまた暮らしたい」願いは一つです。
◆永倉和久さん
「田中地区の人はすごい地元を愛しているそういう人がいっぱいいるから僕も好きだし、街を取り戻したいその手伝いはなんでもしたいと思う」
