「核兵器と人間は絶対に共存できない」88歳の語り部 小学校で長崎での被爆体験語る 大分

2025年08月12日 18:30更新

長崎での被爆体験を伝える「語り部」として活動する大分県宇佐市の88歳の男性がいます。

 

 

戦後80年のこの夏も地元の小学校で平和授業を行いました。

 

 

 

80年前、アメリカ軍が長崎に投下した原子爆弾。その時の光景は当時8歳だった少年の記憶に焼き付いています。

 

 

◆奥城和海さん

 

「白い玉、落下傘みたいなものはピカーと光った。目はくらむは、とにかく長崎の町を全部光が走った」

 

 

長崎で被爆し、今は宇佐市で暮らす奥城和海さん88歳です。当時は爆心地から3キロほど離れた場所にいて、無事でしたが、爆風で吹き飛ばされたといいます。

 

 

◆奥城和海さん

 

「そのまま身も心も打ちのめされた。意識はわからなかった」

 

 

奥城さんは終戦の翌年、母親の古里の宇佐市に家族で移り住みました。小学校教師を退職後、70歳くらいから、被爆体験の「語り部」の活動をしています。これまでに行ってきた平和授業は130回以上。8月8日も地元・宇佐の駅館小学校で自身の体験を語り、核兵器廃絶を呼びかけました。

 

 

 

 

 

◆奥城和海さん

 

「絶対に二度とあの苦しみをほかの誰にも味わわせてはならない。二度と核兵器を使わせてはならない。 被爆者を作ってはならないという願いがある。核兵器と人類、人間は絶対に共存できない」

 

 

◆女子児童

 

「核兵器という恐ろしいものがあると知って、 今戦争が日本にない時代に生まれてよかったと思った」

 

 

◆男子児童

 

「これからは喧嘩などを無くそうと思った。今自分ができることをしっかりとやる」

 

 

◆奥城和海さん

 

「語り部の仕事ができることは被爆者にとって使命だと思っている。その使命を全うしなければならない」

 

 

平和のために語り継ぐ…

 

 

奥城さんは命ある限り語り部を続けていくと話しています。

 

 

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