戦後80年 人間魚雷「回天」の犠牲者追悼する慰霊祭 日出町で6年ぶりに開催 大分

2025年04月25日 19:15更新

2025年は戦後80年です。

 

戦時中、人間魚雷「回天」の訓練基地があった大分県日出町で25日、慰霊祭が開かれました。近年この慰霊祭は途絶えていて、今回6年ぶりに再開されました。

 

 

日出町大神にある回天神社です。25日、人間魚雷「回天」の犠牲者に祈りを捧げる慰霊祭が行われました。

 

 

「回天」とは、兵士たちがその身一つで機体に乗り込み、敵艦に体当たり攻撃を行う海軍の特攻兵器のこと。搭乗者は20歳前後の若者がほとんどで、出撃ぼか訓練中の事故などを含め、全国で145人の尊い命が失われました。

 

 

 

 

戦時中、日出町大神にはこの「回天」の訓練基地がありました。25日の慰霊祭は、基地開設の日にあわせて行われ、隊員の遺族や関係者約60人が参加しました。

 

 

◆父親が「回天」の元搭乗員 秋広英二さん(69)

 

「訓練中に砂浜に突っ込んで、何日間か回天の中で過ごしたという話は聞いたことがある。終戦を迎えて、父が特攻に行かずに済んだのはありがたい。ここに回天基地があったことを後世に伝えていかなければならない」

 

 

 

 

大神には今もいたるところに「回天」の訓練基地があった痕跡が残されています。「回天」の部品などを保管していた防空壕や「回天」に不備がないかを調べる「魚雷調整プール」も当時のものがそのまま残されています。

 

こうした地元の戦争の歴史を後世に伝えていこうと、大神には「回天」のレプリカなどを展示する公園が整備されています。

 

 

 

 

 

しかし訓練基地について、当時、海軍は「極秘」としていて、地元の人にも詳細が知らされることはありませんでした。大神からの「回天」の出撃はありませんでしたが、終戦後に憤りを感じた搭乗員の若者1人が自決しました。

 

 

◆日回ボランティアグループ 長野久子代表

 

「17、18歳くらいからの若い男性たちがここで訓練をしていた。若い青年たちが、家族と別れて自分の尊い命を戦争のために、国のためにささげていったところ」

 

 

地元のボランティアグループの代表・長野久子さんです。戦後から2025年で80年となり、当時を知る関係者が少なくなる中、「回天」の歴史の継承が課題だと話します。

 

 

 

 

 

◆日回ボランティアグループ 長野久子代表

 

「だんだんもう80年も経つと皆さん高齢化が進んでいる。これをなんとか伝えていかなければならない、保存していかなければならないということが一番の課題」

 

 

実は25日の慰霊祭は6年ぶりの開催でした。コロナ禍に加え、関係者の高齢化で途絶えていたのです。2025年が戦後80年の節目であることから、長野さんたちを中心として再び開催に漕ぎつけました。2026年以降も慰霊祭を続けていくことにしています。

 

 

◆日回ボランティアグループ 長野久子代表

 

「これからも若い人たちや地域の人達と協力して継続、継承していきたい」

 

 

戦争の歴史を後世に語り継ぐ。平和への願いを込めた地元の取り組みが続けられています。

 

 

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